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青森地方裁判所 昭和37年(行)3号 判決

原告 古川良三

被告 中里町長

主文

被告が原告に対し昭和三六年一二月一日付で為した中里町教育委員を罷免する旨の処分は無効であることを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、主文と同趣旨の判決及び第二次的請求として、被告が原告に対し昭和三六年一二月一日付で為した罷免処分はこれを取消す旨の判決を求め、請求の原因として次のとおり述べた。

一、原告は昭和三六年三月二〇日中里町教育委員会の教育委員に任命(任期四年)されたものであるが、同年一二月一日被告は原告に対して、昭和三六年度全国中学校学力調査(以下単に学力調査という)の実施に際し原告において職務上の義務違反の事由があつたという理由で、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下単に地教法という)第七条第一項により前記委員を罷免する旨の処分を為した。

二、しかし、右罷免処分は以下の事由によりその理由がないものである。

(一)  中里町教育委員会(以下単に町教委という)が、文部省及び青森県教育委員会(以下単に県教委という)の委嘱により、所轄の中学校(中里、内潟、武田、若宮の各校)生徒に対して実施しようとした学力調査に対しては、中里町教職員組合(以下単に町教組という)が、日本教職員組合(以下単に日教組という)及び青森県教職員組合(以下単に県教組という)の方針に基いて、第一に法律的見地よりみて、文部省側は学力調査の法的根拠を地教法第五四条第二項に求めているが、学力調査は実質的には生徒の学力の評価を目的とした積極的施策を有するものであるから、同条同項にいう「調査」の範囲を超えるものであること、第二に教育政策的見地よりみて、学力調査は公教育の国家的統制の手段であり、教育評価としても科学性を有しないばかりか、かえつて民主教育の成果を阻害するものである等の理由から、その実施について強く反対の意思を表明していた。昭和三六年一〇月二四日、二五日の両日に亘り、町教委と町教組は学力調査実施についての最終的な話合いを行つたが、物分れに終り、結局町教組は県教組、北郡教職員組合(以下単に北郡教組という)、青森県労働組合会議(以下単に県労という)及び中里地区労働組合(以下単に地区労という)等の支援を得て、学力調査実施阻止の為の斗争態勢に入る事態となつて、学力調査実施当日である一〇月二六日を迎えたものである。

(二)  一〇月二六日の学力調査実施当日の中里中学校における学力調査実施反対斗争は、町教組中里中学校分会を中心として展開され、同分会は学力調査補助員の任命を拒否して平常授業を行うことを決定し、これを支援するために県教組、北郡教組、県労及び地区労の各組合員の多数が、同中学校の内部及び周囲につめかけていたが、一方町教委及び中里中学校長側は、学力調査実施を強行する方針を変えず、実施を阻止する行動に対しては警察、消防団の援助を求める方針である旨の噂が流れるなどして、険悪な情況を呈するに至つた。そこで原告は、このような事態の下において学力調査を実施しようとすれば、教室内の生徒の目の前で不祥事が必らず起ることになるであろうし、そうなれば生徒にとつては終生忘れることのできない忌わしい記憶として残るであろうから、学校教育の上からみて、そのような混乱の事態になることは絶対避けねばならず、この際何をおいてもそのような結果を回避するために行動することが教育委員としての責務であると判断し、右に基いて原告は事態の円満な収束を図るため、同中学校校長室において専心努力するところがあつたものであり、原告の右行動をもつて職務上の義務違反の事由とみなされるいわれはない。

被告の主張に対しては、以下のとおり述べた。学力調査の法的根拠を地教法第五四条第二項に求めることは前記のように疑問があるのみならず、かりに同条同項を根拠にするとしても、右条項は調査報告の提出を求められた側に提出の義務を負わしめるものではない。被告主張の職務上の義務違反の内容は、極めて漠然としていて、そのような不明確な義務違反の事由によつては罷免されない。

(証拠省略)

被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする旨の判決を求め、答弁として次のとおり述べた。

原告の請求の原因事実中、第一項の事実は認めるが、本件罷免処分が理由のないものであるとする原告の主張事実はこれを争う。すなわち、本件罷免処分は次のような原告の職務上の義務違反の事由をその理由として為されたものであつて、有効なものである。

一、学力調査は、文部省が県教委に対して昭和三六年四月二七日付文調調第二五号をもつて、及び県教委が町教委に対して同年七月二九日付青教研第三五号をもつて、順次学力調査の報告の提出をいずれも地教法第五四条第二項に基いて求め、さらに町教委が同法第二三条第一七号により中里中学校長に対して具体的実施を命じたものである。

二、原告は、学力調査実施当日の同年一〇月二六日午前一〇時一〇分頃、中里中学校の校長室において、これより学力調査実施のために各教室へ向おうとしていた三上校長及び補助テスター(約一〇名)に対して、「テストをやるとは何事だ。教育委員として文句がある。教育委員の私に一言も話しをしないで学力テストをやるとは何だ。委員として発言するが君達が一歩でも廊下に出ると混乱する。」などと大声を発し、両手をひろげて同校長らの行動を阻止したため、同校宿直室に待機していた組合関係者多数が校長室の入口に殺到し、補助テスターの出口を封ずるところとなり、その結果同校における学力調査の実施を中止させるに至つたものである。

(証拠省略)

理由

一、原告が昭和三六年三月二〇日町教委の教育委員に任命され同年一二月一日委員を罷免する旨の処分をうけたことは当事者間に争いがなく、同年四月二七日付文調調第二五号により文部省が県教委に対し、及び同年七月二九日付青教研第三五号により県教委が町教委に対しそれぞれ学力調査についての報告の提出を求めたことは、いずれも成立に争いのない甲第一、二号証によつて明らかである。

二、学力調査の実施に際し原告において教育委員として職務上の義務違反の事由があつたと被告が主張するのに対し、原告は右事由の不存在を抗争するので、この点について判断する。

(一)  (町教委の学力調査実施に関する意思決定の経緯)いずれも成立に争いのない乙第二号証の二、三に証人加藤八州男及び同佐々木正尊の各証言(いずれも後記採用しない部分を除く)並びに原告本人尋問の結果を総合すれば、町教委は、同年九月一日第一〇回委員会において、学力調査の実施を全員一致(委員長加藤、副委員長佐々木、教育長松野、福士、古川各委員)で決定したが、その後町教組から町教委に対し、学力調査実施を中止するよう申入れがあつたので、同月一六日第一一回委員会において、町教組の右要望を検討し、その際に原告より「現場職員の意向を十分考慮してもう一度審議したらどうか」という発言があつたが、結局前回の委員会において決定された線にそうて学力調査実施を再確認(前回同様の委員五名の全員一致)したことが認められ、右認定に反する証人加藤八州男及び同佐々木正尊の各供述部分はいずれも採用できないし、他に右認定を覆えすにたりる証拠はない。

(二)  (町教組の学力調査実施に対する阻止運動の展開経過)証人馬場春雄、同田中博男、同越谷政一、同金田武三郎、同井沼新一、同外崎文夫、同加藤正夫、同千葉成行、同青山定太郎(後記採用しない部分を除く)及び同三上明の各証言並びに原告本人尋問の結果を総合すれば、次のような事実が認められる。すなわち、町教組は、日教組及び県教組の方針に追従して、学力調査実施を阻止するために、右実施当日にはテスト補助員に任命されるのを拒否して平常授業を行うと同時に外部より任命されたテスト補助員に対し説得活動を行う旨の運動方針を決定し、一方県教組、北郡教組、県労及び地区労は町教組の右運動を支援するために結束しており、とくに町教委が所轄する中学校のうち、中里、内潟両校が拠点斗争の対象として強力な運動が展開される方針であつた。一〇月二四日、二五日の両日に亘り町教組は町教委と最終的な話合いをしたが、その際に町教組としては、第一に学力調査の結果を各生徒の指導要録に記入しないこと、第二にD表記入(テストの結果を各校毎にまとめて提出する方式)を採らないで、町教委が所轄する四校についてこれを全体としてまとめる方式を採用すること、の条件が容れられるならば学力調査に応じてもよい旨の態度を示すに至り、これに対し町教委は右第一の条件を了承し、第二の条件については応じられない旨回答したため、両者の話合いは第二の条件をめぐつて物分れに終つたが、それによつて両者の交渉が決裂したというものではなく、ある程度の話合の余地をのこして学力調査実施当日を迎えたものである。ところで一〇月二六日学力調査実施当日の中里中学校周辺には、午前七時頃より町教組の学力調査実施阻止斗争を支援するために、北郡教組(約二〇名近く)及び地区労(約一七、八名)の各組合員がつめかけ、前者は同校内職員室附近に、後者は校門附近にそれぞれたむろしていたが、その具体的目的は、第一に現場において町教委側と交渉すること、第二に中里中学分会の組合員が日教組の方針の下に結束するよう勇気づけること、第三に外部から任命されるテスト補助員に対しテストの実施をやめるよう説得活動をすること等にあつた。午前七時過頃同中学三上校長は、職員室附近にいた北郡教組員等に対し退去命令を出し、その結果右組合員等は同校宿直室より出ない旨の約束の下に同宿直室の提供をうけることになつた。午前七時一〇分過頃、来校した藤田西北教育事務所長及び青山教育長に、三上校長及び越谷北郡教組書記長の四者の話合が為され、その際に町教委側は実施時間が遅れても学力調査が行われれば町教組員を処分することはない旨越谷書記長を通じて町教組側に申入れた結果、町教組中里中学分会の組合員は午前八時過頃より職場会を開いて討議のうえ、従来の方針どおり、同分会組合員が学力テスト補助員に任命されることを拒否して平常授業を行う旨再確認したものであり、右職場会が終了したのは午前九時三五分頃であつた。なお同校における平常の授業時間割は、第一時限開始が午前八時四〇分で五〇分授業(休み一〇分)であつたが、前記職場会が開かれた関係で、第一時限はホーム・ルームの時間に変更し、職場会終了後の午前九時三五分より同一〇時二〇分までを第二時限として四五分授業(休み一〇分)に組直して、授業を開始したものである。以上の事実が認定され、右認定に反する証人青山定太郎の供述部分は採用できず、他に右認定を覆えすにたりる証拠はない。

(三)  (原告の学力調査実施当日における行動)証人千葉成行、同加藤八州男、同佐々木正尊、同三上明及び同長内吉三郎の各証言並びに原告本人尋問の結果(後記採用しない部分を除く)を総合すれば、次のような事実が認められる。すなわち、原告は一〇月二四日の町教委と町教組との話合いの席上で、町教組側の提案した前示条件を容れて差支えない旨の発言をしたが、翌二五日の話合には自家商用のために欠席したので、その後の話合いの結果には参与できなかつたし、さらに二六日の学力調査実施当日も午前九時頃迄は自家商用のため町教委の職務に従事することができない状態にあつたため、二五日夜町教委より、明二六日午前七時頃に町役場に来てもらいたい旨の電話連絡を受けたが右事情により午前九時過ぎでなければ町役場に行くことができない旨の返事をしている。そして二六日学力調査実施当日、原告が商用を済ませて午前九時過頃町役場へ行つたときには、同役場には加藤委員長と佐々木委員が居り、原告は応接室で佐々木委員と町教委が所轄する四中学校における実施状況や雑談などして待機していたところ、そのうち加藤委員長及び佐々木委員は、原告に対して何らの連絡もしないで密かに同役場より中里中学へ向い、原告はそのまま応接室に取り残されてしまつた。その後原告は同役場吏員の一人から、右両名が中里中学へ行つたこと及び同中学で何か面白いことが始まりそうだということを聞くに及んで、直ちに中里中学へ自転車に乗つて急行した。午前一〇時三〇分頃、原告は中里中学に到着し同校校内附近に集合していた地区労の組合員に対し「ほかの委員来ているか」と問うて、玄関から校舎内に入り校長室へと向つて行つた。折しも、校長室では三上校長が、約一〇名の補助テスターにテスト用紙を配り終つて、これからテスター達を各教室へ誘導するために廊下へ出ようとしているところであつた。そこへ、原告が相当興奮した態度で「君達はここで委員会を開いているのか。私も委員の一人だ。私を除け者にしたのはどういうわけか。今日のテストは実施すべきではない。君達がここを一歩でも出ると混乱が起きるのだ。」などと大声を発して、右一行の行動を制止し、また校長室の入口から奥へ進んだところで加藤委員長に対して「どうして一人にしておいてきたか」と難詰した。原告の右言動直後、これを聞きつけた宿直室の組合員達が校長室の入口附近に殺到したため、三上校長及び補助テスター達は校長室より出ることができず、校長室は騒然として混乱状態に陥つてしまつた。以上の事実が認められ、右認定に反する証人越谷政一、同三浦昭、同井沼新一及び同田中博男並びに原告本人の各供述部分は採用できないし、他に右認定を覆えすにたりる証拠はない。

叙上(一)(二)(三)の認定事実及び弁論の全趣旨に徴すれば、原告の前示校長室での行動については、右行動が学力調査の実施に伴う教育上避けねばならぬ混乱の事態を円満に収束するために止むを得ず為された措置であると考えることはできないし、のみならず原告において他の委員から除け者扱いされたことに対する憤慨の余りに激情的言辞及び態度に出たものであることが看取されるのであつて、これを全体として観察するときは、原告の右言動は、当該状況下において少くとも学力調査を阻止する方向に作用した行動であることは否定できない。ところで、教育委員たる者は、合議制の行政機関である教育委員会の構成員であるから、委員会の意思決定に際しては論議、検討を十分に尽くすべきことが義務とされている反面に、一旦委員会としての意思決定が為され、しかもそれが外部的に表明されるに至つたときは、右意思に反する行為を執ることは委員としての職務上の義務に違反するものといわねばならないところ、本件の原告の前示行動は、すでに町教委の決定した学力調査の実施を阻止する行為であることは叙上認定のとおりであるから、右職務上の義務に違反する行為であることも否定できないといわねばならない(なお原告の職務上の義務違反の事由についての被告の主張事実の内容は、十分ではないけれども、右認定の事由についての主張を含めているものであると認めることができる)。

三、そこで、叙上認定のような職務上の義務違反事由が存在するという理由で、地教法第七条第一項により、原告に対し教育委員を罷免する旨の処分を為すべきものかどうかは、任免権者である被告の裁量に委ねられて、通常は裁量権行使の当、不当の問題とされるものであるけれども、当該罷免処分が社会通念に照して著しく妥当を欠き、罷免権者に任された罷免権の範囲を超える場合には、違法の問題として裁判所の司法的判断の対象となるべきであるといわねばならないし、本件において原告は、本件罷免処分が罷免権の範囲を超えたものである旨の主張は為してはいないけれども、罷免権の範囲を超えた違法があるかないかの認定については、裁判所が当事者の主張を俟たずして判断できるものと解することが相当であるところ、成立に争いのない乙第二号証の一に証人竹谷繁則、同成田与江三郎、同葛西政一及び同鳴海文四郎の各証言を総合すれば、本件罷免処分の理由は、一応学力調査実施当日の原告の行動に求められているとはいうものの、実質的にはむしろそれ以外の事情、例えば町教委の教育行政上の円滑な運営の面での原告の非妥協性、それに基づく原告と他の委員との感情的対立、及び本件罷免処分に先立つて開かれた町議会において学力調査中止の事情について説明を求められた際の原告の言動等の諸点が、本件罷免処分の理由をなしているものと認められ、また原告の行動が学力調査中止に対し決定的原因を成したものとも考えられないのであつて、叙上認定の諸般の事情を考慮するときは、原告の前記行動が職務上の義務に違反したものであるとはいえ、罷免処分をもつて臨むべき程度の重大なものであるとは認め難く、被告の為した本件罷免処分は罷免権の範囲を超えた違法のものであるといわねばならない。右の事理は、本件罷免処分が町議会の同意を得て為されていることによつて、消長を来たすものではない。しかも右違法は、取消原因となるべき違法ではなく、無効原因となるべき違法であると考えるべきものである。

(結論) 以上により、原告の本訴請求は結局理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 村上守次 小川昭二郎 中山善房)

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